About Malta>マルタの歴史


マルタの歴史

紀元前の歴史


          4500〜2500年頃 ★★世界最古の建造物とされる巨石神殿群がつくられる

          B.C.2500年頃★★★★ハル・サフリエニの地下墳墓がつくられたとされる

          2500〜2000年頃 ★★マルタから人が住んだ形跡が消えたといわれる

          1000年頃〜 ★★★★★フェニキア人支配

          650年頃〜 ★★★★★★カルタゴ支配

          218年 ★★★★★★★★ローマ領となる

         

 紀元後の歴史


          60年 2月10日★★★聖パウロの難破船がマルタに漂着

          870年. ★★★★★アラブ支配

          1530年 ★★★★★★マルタ騎士団の所領となる

          1798年 ★★★★★★ナポレオン・ボナパルト上陸。マルタ騎士団マルタから追放される

          1800年 ★★★★★★フランス軍撤退。イギリス領になる

          1914年 ★★★★★★第一次世界大戦中、日本軍がマルタ周辺の地中海の護衛にあたる

          1921年★★★★★★ 昭和天皇(裕仁親王)マルタご訪問

          1964年9月21日★★イギリスから独立

          1974年 12月13日★共和制移行

          1980年 ★★★★★★巨石神殿群、ユネスコ世界遺産登録

          1989年 ★★★★★★米ソ首脳会談マルタで開催(マルタ会談『ヤルタからマルタへ』)

          2004年 ★★★★★★EU加盟


世界遺産登録された巨石神殿群


世界遺産に登録されたのは、マルタに30〜40ほどあると言われる巨石神殿群です。




これは古代エジプト文明や古代シュメール文明よりもさらに古い時代につくられた、人類最古の建造物とされています。

第一王朝期が紀元前3000年頃とされるエジプトよりも更に前の、紀元前4500年から紀元前2500年にかけて神殿がつくられたものと推測されています。
中には数十トンもの石もあり、どうやって切り出して運んだのかは謎とされています。

また紀元前2500年頃から500年間はマルタには人が住んだ形跡がなく、古代文明を築いたのはどの民族だったのかも謎とされています。
 




またマルタ近海の海底からも遺跡は見つかっており、グラハム・ハンコックをはじめ考古学者のなかには、最終氷河期に大陸と陸続きであったと考えられるマルタが、海底に沈んだ文明アトランティス説を唱える人もいます。





 

ハル・サフリエニの地下墳墓

1980年にユネスコの世界遺産に登録された、ハル・サフリエニの地下墳墓(Hal Saflieni Hypogeum)は、先史時代(青銅時代)としては、世界で唯一の地下建造物です。

マルタのパオラ(Paola)で、1902年建築作業中に偶然発見されたこの墳墓は、紀元前2500年頃につくられたものと考えられています。

サンゴの石灰岩の巨石でつくられたこの建造物は、もともとは地母神の神殿として建てられ、後に埋葬地として使用されていたようです。

内部は3階層になっていて、第1階層部が最も古く、自然の洞窟を掘ってつくられているため、地表から僅か10mほどのところにあります。

更に掘り進められた第2階層部分には、建物の最も重要な「神託の間」や「至聖所」(神殿の最も神聖な奥の院)などがあります。

その中の「中央の間」と呼ばれている部屋は円形になっており、部屋には巨石でできた入り口がいくつかありますが、その中には他の部屋に通じる扉と、実際には開かない騙し扉があり、壁面には黄土の赤い顔料が塗られています。

「神託の間」は長方形で、小さな音も反響させる音響効果が施されている特殊な小部屋です。また、黄土の赤い顔料で描かれた天井画がありますので、見学の際はお見逃しのないように。

第3階層部からは、骨や奉納品などが見つかっておらず、貯蔵庫として使用されていたのではないかと考えられています。

この遺跡は古いため、内部の見学は1日70人までに決められているので、見学を希望される場合は事前に申込みをしますが、チケットは1か月前には売り切れることが多いので早めに予約してください。

ネットで申し込めますが、空きがある時に限り、窓口でチケットが買えることもあるようです。
チケット購入はこちら→https://booking.heritagemalta.org/

ガイド付きで、10人ほどのパーティーでまわります。
日本語音声ヘッドフォンによるガイドもあります。




ところで、この神殿からは、後頭部が細長い頭蓋骨が見つかっていて、考古学ファンだけでなくSFマニアのハートも掴んでいるようです。

エジプトでも高貴な位の人の頭蓋骨が細長だったといわれますが、それよりも更に古いマルタの遺跡から変形頭蓋骨が見つかったり、神殿の入り口の形状が、エジプトの建造物の入り口に良く似ていることから、エジプト文明はマルタから伝わったのではないかとも言われています。

また、生後間もなくから頭頂部を変形させて細長くしたとされていますが、CT検査するとホモサピエンスにあるはずの骨が一つ足りないから、実は人間とは違う種の生命体による文明だったのではないかとか。。。様々な空想をかきたてているようです。

因みに以前ヴァレッタ博物館に飾られていた長頭頭蓋骨が、数年前からその姿を消してしまったことで、更に憶測を招いているようです。一体なぜでしょう?





 

聖パウロの漂着

もともとユダヤ人で敬虔なユダヤ教徒であったパウロはある日キリスト教に回心し、キリスト教徒として活動していました。

しかし囚人となり、審理のため船でローマに護送されることになります。
その途中船が難破し、マルタに漂着します。

274名の乗員全員がパウロの予言通り無事で、パウロ達はマルタに暫く(約3か月間)滞在します。
その間にいくつかの奇跡を起こしたことで、マルタでも聖人として認められるようになったということです。

マルタの聖パウロ教会の下には、パウロが身を隠していたとされる洞窟があり、見学も可能になっています。

パウロがマルタに漂着した2月10日の「聖パウロ難破船記念日」は、首都ヴァレッタでは聖パウロ像が担ぎ出されるパレードが行われ、盛大なお祭りが開催されます。

ただし年によって、若干お祭りの開催日が変更になる場合がありますのでご注意ください。






 

フランス軍の占拠


ナポレオン率いるフランス軍は。。。
1798年、当時覇権争いを繰り広げていたイギリスの重要な植民地であったインドとの英印交易を絶つため→
交易の経由地であったエジプトを奪取しようとし→
地中海の要所でエジプトへの経由地であったマルタを占拠しました。

当時のマルタはマルタ騎士団が統治していましたが、船の補給目的と偽って戦略的に入港したフランス軍に、無抵抗のまま島を占拠されてしまいました。

(ヨーロッパ各国の貴族の家から集められた騎士団の中には、フランス出身の騎士も少なからずいたこともあり)団員の足並みが乱れる事態も要因となり、ナポレオンがマルタに足を踏み入れてから島を去る6日の間に、マルタ騎士団は島から追放されてしまいました。

ナポレオンが実際マルタに留まったのは、6日間だったと言われていますが、この6日の間にナポレオンは、マルタの国政と12の地方自治体、金融行政の改革をし、あらゆる領主権や特権、奴隷制度を廃止し、家族法の枠組みを作り、初等教育、中等教育を提供する公教育システムをつくったそうです。

(因みに奴隷とはトルコ人のことのようで、この頃はトルコ人が奴隷として連れてこられたり、マルタ人やゴゾ人が奴隷として連れていかれたりといったことが起こっていたようです。)




 

フランス軍の撤退

当時のマルタは、教会を中心として一般大衆と、貴族、騎士団の関係がそれなりにうまく機能している社会だったようで、急進的にマルタの改革をしようとするフランスに対する社会の不満がつのっていきました。

占拠するフランス軍との軋轢から、マルタの人々は反乱を起こし、イギリスに援助を要請します。

そして1800年にフランスはマルタから撤退し、以降1964年のマルタ独立までの164年間、マルタはイギリスの植民地になったのです。




 

地中海の守護神


日本は第一次世界大戦中、同盟国であったイギリス軍からの要請で、1914年から日本海軍が地中海の護衛にあたっていました。

日本軍は砲撃の危険も顧みず、民間船の護送や、爆撃を受けた船からの人命救助の任務にあたり、その活躍ぶりは『地中海の守護神』と呼ばれ、「日本軍の護送でなけれな航海したくない」とまで言われていたそうです。

中でも有名な話は、1917年にイギリスの「トランシルヴァニア号」が潜水艦によって爆撃された際に、砲撃をかわしつつ約3千人の救出に成功したというものや、魚雷攻撃で動けなくなった英船「バングラス」を、応戦しつつ3日間かけてマルタに曳航したというものなどがあります。

日本の駆逐艦は小さかったのですが、命がけの護送に果敢に向う姿と、人命救助の際の礼節のある紳士的な態度が賞賛されていたようです。

マルタ近海は当時Uボートに取り囲まれており、英船による物資の運搬もままならない状態でしたので、マルタの人々にとって、護衛の日本の駆逐艦はありがたい存在であったようです。

しかも、島民に対して礼儀正しく接する日本海軍の兵士たちに、マルタの人達は大変好意的だったそうです。

ところがそんな活動中、駆逐艦「榊(さかき)」が魚雷の爆撃を受け、59名の日本兵の命が失われてしましました。

地中海の護衛にあたった日本軍の戦死者は、この榊の兵士を含め70余名といわれていますが、マルタにはその戦没者の慰霊碑が建てられています。



 

営業日カレンダー

2018年5月
12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031
赤くなっている日はお休みです。

モバイルショップ